プログラムの「写経」

元エントリは
プログラミング学習手段としての写経について - 西尾泰和のはてなダイアリー

エントリでおっしゃっていることは、全くそのとおりだと思う。
しかし「写経」の語感が問題。写経は修行としてお経を一字一句そのままに書き写していくもの。
そこでは意味が分かる必要はない。悟りは人智を超えたものであるため、そもそも人が理解できるものではない。
それをありのままに書き写すことで悟りの境地に到達できることが、お経のありがたさなのである。

お経を自分なりにアレンジすることなぞ、全く意味のないこと(お経を貶める行為といえるかも)なので、
写経という言葉で例えるのは不適切。
プログラムでキーワードをアレンジしたり、シンタックスを捉え直したりしたら、
エラーで弾かれて終わりだから。

人の真似をする、サンプルプログラムをアレンジすることと、「写経」は全く違う。

写経にまつわる論争は、写経のイメージの捉え方のちがいなのかもしれない。